かわいい子には旅をさせよ

2014年、夫が旅立ちました。透析をしています。

息子とゴロ寝で語る (通夜の前日)

義父の訃報で息子が帰省したが、
私は土曜日の透析を終えて帰宅したところで
ややぐったりして休んでいた。

2月からアキレス腱周囲炎になり、
歩くのもままならず、運転もできなくなった。
入院中もずっと車椅子。
結局、息子は姉の家で夕食をご馳走になる
ことになった。

つくづくポンコツな母である。
なんとか元気な姿をみせたい。
そう考えながら一人で夕食を済ます。

夜10時頃、姉の家から息子が帰宅した。

私は横になって休んでいた。
息子は、姉宅での話や就活の話、
そして、他界した義父と夫の話をし始めた。

お父さんとは「またラーメン食べに行こう」
おじいちゃんとは、成人式の時に「また来るよ」

そう約束したのに、果たせないまま会えなくなったと。

私は言葉が出なかった。

そして息子は私の隣にゴロンと転がった。
息子と寝転ぶなんて、小学生以来だ。
何だかあたたかかった。
こうやって夫と3人で寝ていたっけ。
泣きそうになった。

明日、お顔を見る自信ないね。
でも、しっかりお別れしてこよう。
おばあちゃんとも沢山話をしてあげよう。


どんなに一緒にいたくても、
いつか別れはきてしまう。
そして、いつでも突然すぎる。

義父の葬儀を終えて

通夜同様、葬儀はほんの20名程度で行われました。
義父の親戚とは、随分前から付き合いがないため
義母側の人と、私の身内だけでした。

夫の葬儀では、仕事関係者もですが
子供つながりから、趣味の友人と
思いの外たくさんの方が
お悔やみに来てくださったので、
義父の時は寂しい感じがしました。


1日経って、いつも通りの生活になり
つくづく家族以外の気持ちって
こんな感じなんだとよくわかりました。

義父の通夜が終わって

息子が帰省し、昨日は早目に通夜の会場へ向かった。

義母を始め、みんなと話をする。
義父とは、別居する前は言い合ったりしたが
長い間 一緒にいたし、楽しかったこともあった。
最期に「お父さん、ありがとうございました」と
伝えた。

安らかだった。

息子は義母と沢山話していた。
久しぶりに会う孫と話す義母は
嬉しそうだった。

義兄から、相続の件でまた連絡すると話があった。
相続人である夫が他界しているので、
相続権が息子にあるからだろう。
とりあえず3ヶ月以内に処理しないとならない。
私の頭の中では、司法書士に頼んで
相続放棄と考えているが、今の所保留。


葬儀が済んでからは手続きが沢山ある。
これからが本当に大変なんだろう。
自分は仕事柄、その流れを理解していたので
そんなに迷いはなかったけど、
義母や義兄は大変だろうと思う。

義母も一人暮らしになってしまうのだな。

義父の訃報

20年近く同居していた義父が
昨晩に急逝したと連絡があった。

気持ちは複雑な感じだ。
夫の時と違い、どこか冷めているのかもしれない。
義母はこれからひとりになるが
それは義兄に任せるほかない。

配偶者を失う、その気持ちは
とてもよくわかる。
でも寄り添えない。

やるべきことをやって、それ以上は引く。

シャントオペ&閉鎖から退院

透析用のシャントオペと旧シャントの閉鎖をし
昨日ようやく退院した。

まずは、仏壇に向かい、夫にただいまと挨拶。

今回は、傷がL字になっていて、大きいからか
痛みは勿論、まだスポンジすら握れない。
ひと月くらい必要かなと思っている。

今回の麻酔は、右腕全体の麻酔だったので
術中は痛みはないが
術後はとんでもなく、流石に痛み止めはコカールで
乗り越えられず、人生初めてのロキソニンを1度飲んだ。
しかし、それきり禁止された。
当然か(笑)

入院すると、大体家族がお見舞いにくる。
高齢の方でも旦那さんがきてくれる。
毎度のことだが、私の所にはこれるわけもなく
痛みと心細さと入り混じって1度は泣く。
そうして少しずつ気持ちをリセットする。

そして、今日は退院後 初のクリニックで透析。
入院前に、少しだけ話す年上の方々=先輩に
2週間程入院すると挨拶をしていた。

更衣室に入り、挨拶をすると
入院が長かったから心配した、おかえりと
沢山の先輩方から
とてもあたたかく言葉をかけてもらった。
とても嬉しかった。

スタッフや技師さんにも、
頑張ったと言ってもらえた。
嬉しすぎて泣きそうになった。

ここ数年、おかえりと言われることがないから
心に沁みた。

私もあたたかい言葉をかけられらように
心掛けたい。

生きる為の透析

透析患者も色々です。
今日は、隣のベッドの患者さんのお話を書きます。

その日は、穿刺の順番が最後の日で、自分の番までベッドで待っていました。
すると隣のベッドの患者さんに話しかけられました。

年齢は50代前半、糖尿病2型で右足の指は切断されたそうです。
ご主人とは離婚されていて、お子さんも独立。
今は一人暮らしだそうです。

私は、死別で一人暮らし、息子は学生。
似たようなものかもしれません。

「透析がつらいからいつ死んでもいい」
「先生に、透析しないと死んじゃうよ!ときつく言われる」
「すく体重増えちゃう」
障害年金じゃやっていけなくない?」

「これから話しかけて!タメ口で話して」


タメ口って、、、しばらく聞かない言葉に鳥肌。


透析してると確かにイヤになることはあると思うのです。
しかし、何のために透析してるかというと
自分の場合は、生きていたいから。
まだやれることも、やるべきこともあるから。

手術もいやだけど、今はしがみついても生きたい。

そのために、食事管理したり、主治医やスタッフ、色々な人に
助けてもらってる。
助けてくれてる。感謝しかない。


しょぼくれる時があってもいいけど、
マイナスなことばかり言ってもきりがないし
人生が楽しくないと思う。


病気があっても、健康じゃなくても、生き方はその人次第。
不満ばかりじゃなくて、じゃあどうしたらいいか?
方法を考えたらいいのにって、聞いていて無言になってしまった。


どうせ言葉に出すなら、もっと明るい言葉がいいと思う。